おびログ

美しくあるために。感性をみがき、知性をきたえる。

失敗じゃなく誤差範囲だと思おう

「失敗するのがこわい」

うまくいかないと、気持ちが苦しくなることありますよね。
失敗することそのものより、失敗した後に、強く怒られた経験があったり。すこしの間違いすら許されないような環境にいたことがあるのかもしれません。

「失敗したのは挑戦した証だからね」

なんて幼少期から言われてきていたら、うまくいかないことに動揺したりしない。どれだけ転んでも、びくともしないようなタフな大人になっているはず。
「うまくいかないこと」なんて存在しないから。過程の段階に起こりうる要素であり、さらなる成長には必要不可欠だと思える。

でも実際には、タフな大人なんかほとんどいない。
多くの人が、うまくいかないことに、うまくいかないときの周りのネガティブな反応に、苦しくなっている。
へこたれたり、防衛のつもりで強く反撃してしまう。

うまくいかなくてもね、落ち込まなくていいよ。
失敗なんて、実際はほとんどが大したことじゃない。振り返ってみても記憶すら曖昧だし。
そりゃ多少は何かあったけど、誤差くらいの範囲でしょう。

大事件かのような衝撃をうけて動揺したり、ささいな揚げ足取りに敏感に反応したらもったいないよ。気持ち乱してしまうほどじゃない。
おおごと扱いして大騒ぎしたけど、落ち着いてみたら、取り乱して恥ずかしいって思ったことあると思う。

落ち着いて「やっちゃったなー。よし、誤差を修正しなくっちゃ」くらいがちょうどいい。

幻冬社の編集者である箕輪厚介さんの著書のタイトルは「死ぬこと以外かすり傷」。

すこし転んだだけのかすり傷で「死ぬー」って騒ぐのは、子どもだけでいい。
大人は、死ぬこと以外かすり傷だと思って、タフに生きないとね。

他人の失敗に敏感に反応する人は、おそらく、ひと握りの数しかいない。
批判的な意見、否定的な意見が、とても大きく強く感じられるだけ。

ていうか、人のかすり傷みて「転んだー」って騒いでいる時点で、どう考えても子どもだから相手にしなくていいよ。

かすり傷なんて跡も残らないし、結果として傷にはならない。

多少の失敗は修正できる誤差範囲だと思って、めげずに前を向いて進んでいきましょう。